わが街 ふるさと欄に我が街池田が登場
2010年 11月 29日
2010年11月29日
赤旗日刊紙13面に「わが街 ふるさと」欄があります。
若干、観光案内的な側面があるのですが、赤旗読者の中にはこの欄の記事を読んで行ってみようかなということにもなるそうです。
本日付けで「わが街 池田」が登場しています。
投稿者は、ほかならぬ私(垣田千恵子)です。
本当は、赤旗で読んでほしいのですが、このブログ上でも全文掲載します。
「わが街 ふるさと」
池田市は、大阪府の北西部に位置し大阪国際空港の玄関口にあります。人口十万、市政施行七十一年、大阪の中心部から電車で約20分の通勤圏にある勤労者のまちです。
市北東部に広がる五月山(315㍍)の緑は、日本共産党がまちづくりの基本として掲げて来たもので、市民共通の宝です。五月山の8割は私有地ですが、都市計画で緑地として整備し、五月山環境保全条例で市街地から見える景観の保全を定めています。
日本一小さな動物園にはウオンバットやアルパカがいます。サクラとつつじの名所として知られ、夏の大文字献燈・大一文字点灯と「がんがら火祭り」は有名です。
市域西端を流れる猪名(いな)川は兵庫県川西市との境をなし、流域は古くから物資交易の地として栄えました。
また、江戸時代には池田炭、池田酒、細河特産の植木などが広く知られ、奥郷からの農産物の中継地としても栄え、上方落語の「池田の猪買い」「池田の牛ほめ」などの演目でも知ることができます。
戦後は大阪・梅田から阪急電車で約二十分の通勤圏にあることから住宅開発が進み、勤労者のまちとして現在に至っています。
近年高齢化がすすみ、あらたなまちづくりの模索が進むなか、日本共産党議員団は「歴史の回廊」の提案や卓球の元世界チャンピオン小山ちれさんとつくる「卓球のまち池田」の提案、「落語のまち池田」や、「古墳ロード」の提唱などを行ってきました。
行政も日本共産党の提案を受けて「卓球のまちづくり事業」の予算化や「落語ミュージアム」の建設、「古墳時代の猪名川流域」の刊行、「社会人落語日本一決定戦」の企画など、まちおこしをしてきました。
今年二年目となる社会人落語日本一決定戦は池田市在住の桂三枝師匠が統括し、全国から応募者が288名。事前審査を勝ち抜いた161名が市内6会場で二日間にわたってレベルの高い熱演を繰り広げました。
また、十一月一日には篤志家の熱意で大衆演劇場「呉服座」が四十一年ぶりに復活。逸翁美術館や各種ミュージアムや史跡めぐりが、市民の文化的要求をとらえ元気な高齢者の街となってきています。
赤旗日刊紙13面に「わが街 ふるさと」欄があります。
若干、観光案内的な側面があるのですが、赤旗読者の中にはこの欄の記事を読んで行ってみようかなということにもなるそうです。
本日付けで「わが街 池田」が登場しています。
投稿者は、ほかならぬ私(垣田千恵子)です。
本当は、赤旗で読んでほしいのですが、このブログ上でも全文掲載します。
「わが街 ふるさと」
池田市は、大阪府の北西部に位置し大阪国際空港の玄関口にあります。人口十万、市政施行七十一年、大阪の中心部から電車で約20分の通勤圏にある勤労者のまちです。
市北東部に広がる五月山(315㍍)の緑は、日本共産党がまちづくりの基本として掲げて来たもので、市民共通の宝です。五月山の8割は私有地ですが、都市計画で緑地として整備し、五月山環境保全条例で市街地から見える景観の保全を定めています。
日本一小さな動物園にはウオンバットやアルパカがいます。サクラとつつじの名所として知られ、夏の大文字献燈・大一文字点灯と「がんがら火祭り」は有名です。
市域西端を流れる猪名(いな)川は兵庫県川西市との境をなし、流域は古くから物資交易の地として栄えました。
また、江戸時代には池田炭、池田酒、細河特産の植木などが広く知られ、奥郷からの農産物の中継地としても栄え、上方落語の「池田の猪買い」「池田の牛ほめ」などの演目でも知ることができます。
戦後は大阪・梅田から阪急電車で約二十分の通勤圏にあることから住宅開発が進み、勤労者のまちとして現在に至っています。
近年高齢化がすすみ、あらたなまちづくりの模索が進むなか、日本共産党議員団は「歴史の回廊」の提案や卓球の元世界チャンピオン小山ちれさんとつくる「卓球のまち池田」の提案、「落語のまち池田」や、「古墳ロード」の提唱などを行ってきました。
行政も日本共産党の提案を受けて「卓球のまちづくり事業」の予算化や「落語ミュージアム」の建設、「古墳時代の猪名川流域」の刊行、「社会人落語日本一決定戦」の企画など、まちおこしをしてきました。
今年二年目となる社会人落語日本一決定戦は池田市在住の桂三枝師匠が統括し、全国から応募者が288名。事前審査を勝ち抜いた161名が市内6会場で二日間にわたってレベルの高い熱演を繰り広げました。
また、十一月一日には篤志家の熱意で大衆演劇場「呉服座」が四十一年ぶりに復活。逸翁美術館や各種ミュージアムや史跡めぐりが、市民の文化的要求をとらえ元気な高齢者の街となってきています。
by chieko_kakita
| 2010-11-29 15:06