地震・水害救援募金、そのあと逸翁美術館へ
2004年 10月 30日
2004年10月30日(土)
台風23号による水害被災者と新潟中越地震被災者への募金活動をしました。
池田駅前で、日本共産党の池田市委員会として呼びかけたところ、約1時間で4万円ほどの義援金があつまりました。すぐさま現地へ送ります。
日本共産党は、災害対策本部や現地救援センターを設け、現地調査、救済、復興支援などに全力を尽くしています。さらに救援ボランティアを組織して被災地支援を行っています。
また、京都府と兵庫県の府会、県会、市町村議員団はただちに上京して、それぞれが激甚災害の指定、復旧支援の具体的実行を政府に求めました。
こくた衆議院議員は、26日の国土交通委員会で被災者支援に「個人補償」の実施を求め河川堤防の総点検など要求しました。
吉井衆議院議員は、29日の内閣委員会で円山川、出石川の堤防決壊問題、大量のごみ処理、被災者生活再建支援法の浸水被害への認定を要求。など、国会議員先頭に救援で奮闘しています。
午後から逸翁美術館へ
「茶会への誘い(いざない)」というテーマで、生前の逸翁・小林一三氏がよく開いた茶会の中でも、その道の大家13名を招いて行われた「延命会茶会」(昭和29年11月11日)で用いられた道具組みを、克明に書かれた茶会記をもとに展示してありました。
逸翁・小林一三氏のコレクションは千利休や尾形乾山など歴史上の人物の作品や、中国の明や李朝時代のものなどびっくりするような物ばかりですが、いずれもその収集の傾向は清楚で品格のあるものばかりです。
寄せ付けの掛け物として扇に松尾芭蕉の筆による「菊の句」が、ありました。
「み所の あれや野分けの 後の菊 はせを」
【野分け(台風)の後に、あれっ、ちょうど見どころの菊の花が咲いているよ】とでもいうような趣で受け止めました。しかし「あれや」はそんな程度の解釈で合っているのかどうなのか、少し気になったので美術館の学芸員さんに聞いてみました。『野分で荒れた』と『あれー』と菊を見つけた状況を掛け言葉としているのではないか、ということでした。なるほど・・・そうですね。
この扇子も江戸時代17世紀のもの、しかも芭蕉直筆のものですから、それこそ「あれや」と驚いてしまいます。(写真は美術館の中にあるお茶席です)
[追記] 今日は台風23号被災者と地震の被災者の救援募金を訴えてきたところですが、「被災地ではとてもそんな、瓦礫の傍の花をめでる余裕などないでしょう」と思っていました。ところが夜テレビで、2時間だけ一時帰宅を許された山古志村のおばあさんが、そのわずかな間に傾いた家の玄関に小菊をたくさん花瓶に入れて飾っているところが映し出されていました。
その後、その方はグチャグチャになった家財道具の中で号泣されていました。私はこの方のことがいつまでも脳裏に焼きついて離れません。もう誰も居ない、誰も訪ねてこない家、その玄関に小菊をいつものように飾る。最大の困難に直面しているのに、ほんとに優しい行為です。その後の号泣はもう、どうしてよいかわからない事態の苦しさ。見ていて、ほんとにつらいものでした。
人間の本源的な優しさ、芭蕉はそれを昇華させて五、七、五に詠んだような気がしました。
また、「あれや」は、当時も台風でとても荒れた(災害がおおきかった)のではないかと改めて想像します。
台風23号による水害被災者と新潟中越地震被災者への募金活動をしました。
池田駅前で、日本共産党の池田市委員会として呼びかけたところ、約1時間で4万円ほどの義援金があつまりました。すぐさま現地へ送ります。
日本共産党は、災害対策本部や現地救援センターを設け、現地調査、救済、復興支援などに全力を尽くしています。さらに救援ボランティアを組織して被災地支援を行っています。
また、京都府と兵庫県の府会、県会、市町村議員団はただちに上京して、それぞれが激甚災害の指定、復旧支援の具体的実行を政府に求めました。
こくた衆議院議員は、26日の国土交通委員会で被災者支援に「個人補償」の実施を求め河川堤防の総点検など要求しました。
吉井衆議院議員は、29日の内閣委員会で円山川、出石川の堤防決壊問題、大量のごみ処理、被災者生活再建支援法の浸水被害への認定を要求。など、国会議員先頭に救援で奮闘しています。
午後から逸翁美術館へ
「茶会への誘い(いざない)」というテーマで、生前の逸翁・小林一三氏がよく開いた茶会の中でも、その道の大家13名を招いて行われた「延命会茶会」(昭和29年11月11日)で用いられた道具組みを、克明に書かれた茶会記をもとに展示してありました。
逸翁・小林一三氏のコレクションは千利休や尾形乾山など歴史上の人物の作品や、中国の明や李朝時代のものなどびっくりするような物ばかりですが、いずれもその収集の傾向は清楚で品格のあるものばかりです。
寄せ付けの掛け物として扇に松尾芭蕉の筆による「菊の句」が、ありました。
「み所の あれや野分けの 後の菊 はせを」
【野分け(台風)の後に、あれっ、ちょうど見どころの菊の花が咲いているよ】とでもいうような趣で受け止めました。しかし「あれや」はそんな程度の解釈で合っているのかどうなのか、少し気になったので美術館の学芸員さんに聞いてみました。『野分で荒れた』と『あれー』と菊を見つけた状況を掛け言葉としているのではないか、ということでした。なるほど・・・そうですね。
この扇子も江戸時代17世紀のもの、しかも芭蕉直筆のものですから、それこそ「あれや」と驚いてしまいます。(写真は美術館の中にあるお茶席です)
[追記] 今日は台風23号被災者と地震の被災者の救援募金を訴えてきたところですが、「被災地ではとてもそんな、瓦礫の傍の花をめでる余裕などないでしょう」と思っていました。ところが夜テレビで、2時間だけ一時帰宅を許された山古志村のおばあさんが、そのわずかな間に傾いた家の玄関に小菊をたくさん花瓶に入れて飾っているところが映し出されていました。
その後、その方はグチャグチャになった家財道具の中で号泣されていました。私はこの方のことがいつまでも脳裏に焼きついて離れません。もう誰も居ない、誰も訪ねてこない家、その玄関に小菊をいつものように飾る。最大の困難に直面しているのに、ほんとに優しい行為です。その後の号泣はもう、どうしてよいかわからない事態の苦しさ。見ていて、ほんとにつらいものでした。
人間の本源的な優しさ、芭蕉はそれを昇華させて五、七、五に詠んだような気がしました。
また、「あれや」は、当時も台風でとても荒れた(災害がおおきかった)のではないかと改めて想像します。
by chieko_kakita
| 2004-10-30 17:55