元日本共産党池田市会議員垣田千恵子の日記です。 垣田千恵子のホームページにもリンクしていますのでTOPからご覧下さい。


by chieko_kakita
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堀辺邦夫元市議への追悼

 2008年10月31日
 大先輩の堀辺邦夫元市議が亡くなられました。10月31日の通夜でお別れの言葉を述べさせていただきましたので、このブログ上に掲載しご冥福をお祈りいたします。

 堀辺さん
 堀辺さんの9期36年間の議員時代の後半、7期目、8期目、9期目の12年間にいろいろと教えていただきながらご一緒に活動させていただいた垣田千恵子です。
 10月の中旬に「堀辺邦夫さんが危篤です」と、いのこの里からお知らせを頂きました。暗にお別れを言ってあげてくださいということでした。
 すぐさま病院に駆けつけたいという気持ちがありましたが、公務が15、16、17日と続き、20日には議会の決算委員会があったため「なんとかがんばってほしい」と祈りつつ議会準備をし決算委員会を終えてからのお見舞いとなりました。
 その時にはもう私を認識できない状態でした。
 危篤と聞いてから4~5日経ってから駆けつけるなんて・・・その4~5日はかなりつらい思いをしましたが、堀辺さんが現職のときに私達に何度も教えてくださった言葉が幾度となく脳裏をよぎり、堀辺さんなら許してくださるだろうと思いました。
 その言葉とは「僕たちは市民から選任されたんだから、どんなことがあっても議会準備を怠りなく議会に臨むこと。議会の開会中は、たとえ親であっても死に目にも会えないことがある」という言葉です。
 この言葉は折に触れて思い返すとともに今では、私自身が堀辺語録の一つとして後輩に語っています。いわば、堀辺流議員スピリットです。
 堀辺さんは、市民の声を届け、市政をチェックする役割である議会を大切にし、そのためにあらゆる文献を読み、調査にも時間を費やす。そして自らの健康状態にも留意し、万全を期して臨む。こういう姿に私達は学ばせていただきました。
 もうひとつ、堀辺さんの言葉で思い出すことがあります。
 私達は議会の中ではいつも少数派です。このことについてこういっておられました。
 「僕たちは議会のなかでは時として少数派であり、少数意見に見えるけれど、僕に一票を投じてくれた人は『議会で暮らしを守って頑張ってきてほしい』という思いでもって名前を書いてくれたんだから、議場では少数であっても胸を張ってがんばる。僕のうしろには何人もの人がついている。ひとりじゃないんだ。そしていつかは多数派になるんだ」と、
 9期36年もの長い間、市民奉仕、市政革新のために頑張り続けてきた不屈の人、正義の人、初心を忘れぬ人堀辺さんならではの言葉です。
 また、議場で口角泡を飛ばす大激論をしても、議場の外では他党他会派の議員にも公平に声を掛け、それぞれの良さを認めるという点ではみんなから慕われました。議会の生き字引の様な人でしたので尊敬を集めておられました。
 晩年の生活の場である「いのこの里」では現役引退後のおだやかな生活であったと推察しますが、現役時代は池田市議会議員として各小学校区に公立保育所、幼稚園の建設、全国トップの下水道普及、五月山の緑と猪名川の清流を守り、ファブリダムの建設、府下随一のがけ崩れ防止工事、新市民病院の建設など住民運動とともに実現し、不公正な同和行政の徹底追及、市政の民主化と開かれた議会をと数え上げればキリがありません。
 市民のくらし、植木産業、中小商工業者の営業を守り、日本共産党議員団の草分けとして活動し議員団の人数も2人から3人へ、3人から4人へ、4人から5人へ、5人から6人へと輝かしい発展をつくってきました。
 堀辺さん。
 経済が右肩上がりで、いい時代でしたね。
 今、構造改革路線と規制緩和で堀辺さんたちがつくった実績がことごとく崩されてきていますが、私達は堀辺さんの教えを守り議員として全力を尽くすことをお誓いします。
 堀辺さん、どうか安らかにお眠りください。ご冥福をお祈りして私のお別れの言葉といたします。


 私は議員として私人として選択を迫られる場面がたびたびありますが、その時には堀辺さんの言動を思い起こして判断基準にしてきました。それを考えると堀辺さんは私達に実に多くのモノを遺していかれたのだと思います。
 堀辺さんからの沢山の贈り物に改めてありがうとお礼を申し上げます。
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by chieko_kakita | 2008-10-31 22:41